私の情報収集方法。

 麻酔科学を学ぶとき、ミラー麻酔科学書を読んだ。1回だけであるが、日本語版を通読した。
それ以来、英語の論文を読んでも、だいたいの内容がわかるし、大きく読み違えることもない。
 一流の大学を出て、一流の企業に入った人たちの情報収集能力はすごいと思う。1時間程度ネットを検索して、だいたいの業界のコンセンサス、今バズっている話題を大きく取り違えることなく集めてくる。
 以前、図書館のすべてのジャンルの本を100冊ずつ読めばいいと言っていた人がいた。その人は賢人でした。
そこで、中規模の地方の図書館の本をすべてのコーナーで、よく借りられている本を5冊ずつくらいパラパラとめくってみました。おススメの方法です。

リテラシー

とはいえ、自分で稲を育てる必要はない。特定の手続きを経てデバイスを利用すれば良い。そのためには、契約書を読んで、理解する程度のリテラシーが必要である。 政治に参加する手続きも同様である。放置するとひどい条件を押し付けられる。マスコミの偏向報道も問題となっている。
携帯電話の契約書を充分理解して契約している人が一体何人いるだろうか?

 

平等とは。

機会の平等と、結果の平等。欧州で言うところの平等とは、入り口が平等に開かれていることをいう。競争は否定されていない。一方で日本は、中央集権が強く、競争が規制されているため、既得権益がものをいう。いわばエスカレーターと階段である。エスカレーターは並んだ順に上に着く。歩いて追い越す人もいるが、原則禁止を呼びかけている。一方階段は、駆け上がろうと、ゆっくり歩こうと自由である。

百姓

 百姓とは、農家を指す言葉ではなく、「何でもする」という意味である。昔の農家は大きな門があり、沢山の小作人が住んでおり、何でも自分たちでしていた。武装しており、土豪と言ってもいいくらいの農家もあった。稲作でつちかったチームワークで戦国を生き抜いたわけである。戦前までは家制度があり、地方にはリーダーがいた。地域社会は、セーフティネットであり、警察であり、職場であり、行政機関であった。
    家制度が崩壊して久しい。現在では皆平等で長幼の序というものがないため、知識層は知識層で固まり、フォロワーはフォロワーで階層を作る。
 また、社会の変化が頻繁に起こるようになった。100年同じ体制であれば一生生活習慣を変えないで済む。ここ100年で、戦争があり、高度経済成長があり、IT革命があった。世代間でも分断が起きている。
 自由であるが、自分で考えて社会サービスを利用し、仕事を見つけ、身の安全を確保しなくては誰もやってくれない。個人で「百姓」しなくてはならないわけだ。

モダンとポストモダン

中国で始まった技術革新から、ルネッサンスが始まり、ガリレオの時代近代物理学が隆盛した。その後、近代物理の法則に従い、計測すると、少しの誤差が出る、逆に正確には出せないことに気づく。そこから相対性理論が生まれたという。現在、宇宙開闢はクォークのレベルまで話が進んでいる。一方、ヒンドゥー教の宇宙開闢は、ブラフマンが自分自身を認め、陰と陽が生まれ、万物が創られたとされる。古代の思想が近代によって一度否定されても、必ずしもポストモダンの世界では否定されないという話。

IT革命

90年代前半、ソ連崩壊に伴い、もとも軍事技術であったwebが民間に公開され、IT革命が起こる。情報操作が出来なくなり、BRICsと呼ばれる国々が発展し、アラブの春が起こる。また、その後のコンピュータの発達は周知の通りであり、各分野における研究は加速した。2016年、「サピエンス全史」が発売される。この本には、新しいことは何も書かれていない。最新の知見に基づいて、2000年からいままでの事象をまとめ直しただけの本である。ここからは、このテキストをベースに、同時並行して今について書いて行こうと思う。