賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ
という言葉がある。両者の違いは、know howとknow whyだと思う。以前こうだったからこうすれば良いというのではなく、その事象についてトコトン研究し、一度抽象的な思考に上げることが必要で、一見要領が悪いようにも見えると思う。
私の情報収集方法。
麻酔科学を学ぶとき、ミラー麻酔科学書を読んだ。1回だけであるが、日本語版を通読した。
それ以来、英語の論文を読んでも、だいたいの内容がわかるし、大きく読み違えることもない。
一流の大学を出て、一流の企業に入った人たちの情報収集能力はすごいと思う。1時間程度ネットを検索して、だいたいの業界のコンセンサス、今バズっている話題を大きく取り違えることなく集めてくる。
以前、図書館のすべてのジャンルの本を100冊ずつ読めばいいと言っていた人がいた。その人は賢人でした。
そこで、中規模の地方の図書館の本をすべてのコーナーで、よく借りられている本を5冊ずつくらいパラパラとめくってみました。おススメの方法です。
百姓
百姓とは、農家を指す言葉ではなく、「何でもする」という意味である。昔の農家は大きな門があり、沢山の小作人が住んでおり、何でも自分たちでしていた。武装しており、土豪と言ってもいいくらいの農家もあった。稲作でつちかったチームワークで戦国を生き抜いたわけである。戦前までは家制度があり、地方にはリーダーがいた。地域社会は、セーフティネットであり、警察であり、職場であり、行政機関であった。
家制度が崩壊して久しい。現在では皆平等で長幼の序というものがないため、知識層は知識層で固まり、フォロワーはフォロワーで階層を作る。
また、社会の変化が頻繁に起こるようになった。100年同じ体制であれば一生生活習慣を変えないで済む。ここ100年で、戦争があり、高度経済成長があり、IT革命があった。世代間でも分断が起きている。
自由であるが、自分で考えて社会サービスを利用し、仕事を見つけ、身の安全を確保しなくては誰もやってくれない。個人で「百姓」しなくてはならないわけだ。