日本史

戦後

イデオロギーの時代核の傘の下、冷戦構造となり、日本は軍備を持たず復興に専念した。国民国家の概念が世界的に広がり、各地で独立戦争や、民族紛争が起こる。共産主義は、イノベーションが起こらず、生活水準は戦後のままであった。結果、ソ連崩壊につなが…

55年体制

日本は戦争に負けて、GHQに占領されました。マッカーサーは日本に、アメリカの理想を植え付ける一方、強い国にならないよう策を巡らせた。「日本は極東のスイスであれ」と言っている。意識改革として、3sと言われるアメリカ文化、安全、平等。政策として、議…

大正デモクラシーから2.26事件

自分が不勉強なだけかもしれないが、戦前は軍国主義で、戦争に突入したと教えられていたと思うが、実際は違っていた。 資本主義とは集めることである。資本が大きくなればなるほど、雪だるま式に大きくなるので、出資を募り、集めたものの一部を貰ってくると…

黒羽藩の維新

今の大田原のあたりの話。15代藩主大関増裕は横須賀藩主の息子で、婿養子として黒羽藩の藩主となる。若年寄となり、幕府の軍監(海軍、陸軍の総監)に任命される。部下には勝海舟がいた。3年ほどで病のため、国元に帰る。 領内で産出する、火薬の原料となる…

文化

長州は文化度の高い藩で、関ケ原で負けたものの、明治維新で返り咲いた。 「虎は死んで皮を残し、人は死んで書を残す」という言葉がある。 「文化を残すか、遺伝子を残すか」 日系人は海外に400万人暮らしています。それぞれ現地になじみ、日本にやってきて…

覇道と王道

極東裁判の時に石原莞爾が述べた言葉が有名だが、これももともとは四書五経の思想。 覇道とは、言ってみればモンゴル帝国である。戦闘力が高く、瞬く間に大帝国を築いたが、文化力が低かったため、フビライは中国式の生活様式にすっかり染まってしまい、代を…

明治維新

あまり一般的でないが、それほど精通しているわけではないので、四書五経とざっくりと呼びます。維新という言葉は、四書五経の中で、「周の国は古い国だがシステムは新しく維持されている」というような意味の文章に出てくる。1回きりのことではなく、「こ…

鬼畜米英

大政奉還がかなわなかったら? 12代将軍、徳川家慶の時代アヘン戦争が起こり、中国は植民地となった。当時の日本人には、「日本が植民地となったら志那のようになってしまう」という危機感があった。 もし、日本に内乱が起これば欧米列強につけいる隙を与え…

大政奉還

で、江戸の終わりの話。11代将軍家斉は一橋家の出身で、江戸の円熟期、化政文化の時代、政治に関心をもたず、大奥に籠りっきりであった。政治もドロドロしており、田沼意次の後ろ立てて将軍になったものの、すぐに田沼を切り捨て、松平定信を重用したが、定…

ちなみに

天下泰平:旧暦の正月(2月)は易で言うと地天泰。盆は天地否。夏は天は天にあり、地とは隔たっているので秩序が保たれ、下を剋することができるが、これでは何も生まれない。正月はこれとは逆に天と地が交わるので色々なものを生む。また、生と死も曖昧にな…

江戸幕府

貞観政要:中国の歴史上、一番理想的な政治が行われた貞観時代の記録。隋の煬帝から唐に禅譲され、二代皇帝太宗が行った政治は理想的な徳政であった。 家康の徳川幕府は、日本における貞観の治であり、以後280年続く天下泰平の世が始まる。 幕府なので、天帝…

戦国の終わり

マキャベリストの最後とは似たようなもので、ついて行けなくなった家臣に討ち取られる。カエサルによく似ていると思う。現在では、家康を討ち取ろうとしたところ、本能寺の変で殺害されたといわれている。 戦国時代を通して食料は増産され、人口は増え続けた…

四書五経

中世から戦前に至るまで影響を与え続けていた中国の思想について語る必要がある。 科挙の主要科目は四書五経であり、四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいう。 「経」とは織物の縦の糸のことをいう…

織田信長

堺屋太一「日本を作った12人」によると、信長は革命者である。 戦国時代を通して人口は増え続けており、都市が出来た。信長は、農業に従事しない都市生活者を金で雇い、戦争をするということを考えついた。そしてそのための資金を楽市楽座から得ていた。 足…

駆け足で鎌倉後期から戦国時代。

やっぱり二番煎じはダメで、執権には従わない。次に室町幕府となるが、貴族制、つまり一人の王の下中央集権というのではなく、指導者が複数いるような状態であった。 そんな状態であったから、ちょっとしたきっかけで戦国時代へと突入していく。戦国時代も後…

いい国つくろう鎌倉幕府

平安時代は天皇を中心とした公家による貴族政治の中央集権国家であった。 陰陽師の世界観から分かるように、当時は死刑がなく、左遷=黄泉の国へ行く=死罪という大変緩い世界であった。「菅原道真は権力闘争に敗れて左遷されただけなのに、なぜそんなに嘆く…

遣唐使と遣隋使

平安期に遣唐使の派遣が中止されるまで中国との交流は続いた。 福岡より外洋に漕ぎ出すのであるが、司馬遼太郎によると、偏西風の存在を知らず6月頃に漕ぎ出すため困難を極めたという。当時の航海の知識はその程度のものであった。 比叡山の叡という字を書い…

天皇制とは?

天智天皇が始まり。祖先は大王(おおきみ)。 天皇とは、中国の皇帝を意識していると考えられる。皇帝とは天子のことである。 天帝思想:「天」は人間を表す大の上を指し示している字である。天上には理想的な世界が広がっており、天帝が統治している。天帝か…

大和朝廷の成立

人口が増加し、豪族たちの合議制が始まる。モーニングカンファレンスに集まれる豪族=朝廷、すなわち中央と地方が生まれる。6世紀後半聖徳太子。仏教伝来。遣隋使開始、中国から大陸の情報が伝わるようになる。645年大化改新。貴族制から王制に。当時の豪族…

弥生時代

紀元前1000年ごろから中国大陸、朝鮮半島から倭人が渡ってきて、弥生時代が始まる。稲作が伝わり、人口が増加したため、一度飢饉がおきると悲惨。食料を巡って争いが起きた。部族を作って今のアフリカの人たちのように相争った。倭人というのは朝鮮半島や中…

縄文時代

2万年前、最後の氷河期。ナウマンゾウを追ってシベリアに住んでいた人々と、まだ陸続きだった東南アジアの島々の人々が最初に日本に渡ってきて縄文人となった。1万年前に氷河期が終わり、紀元前5300年ごろ硫黄島がカルデラ噴火し、南九州の縄文人は全滅。縄…

歴史の歴史

明治維新の時に世界史はあったが、今日的な意味の東洋史はまだなく、国学しかなかった。明治20年ごろから日本史が始まったが、教育に使えるレベルでなく、研究者の議論が始まったという程度であった。本格的に歴史教育が始まったのは戦後から。 当時の思想に…