覇道と王道

極東裁判の時に石原莞爾が述べた言葉が有名だが、これももともとは四書五経の思想。

覇道とは、言ってみればモンゴル帝国である。戦闘力が高く、瞬く間に大帝国を築いたが、文化力が低かったため、フビライは中国式の生活様式にすっかり染まってしまい、代を重ねるにつれ帝国から緩やかな連合となり、やがて多数の国に分かれていった。

チンギス・ハーンの子孫は1600万人いるとされ、近年まで中央アジアの指導者をつとめたものが多かった。

一方王道は力で征服するのではなく、文化の力で「ああいう国になりたい」と思わせることで、実際中国は周辺国を征服するのでなく、文化の力で治めた。すなわち、冊封を結び、朝貢を求めた。