55年体制
日本は戦争に負けて、GHQに占領されました。マッカーサーは日本に、アメリカの理想を植え付ける一方、強い国にならないよう策を巡らせた。「日本は極東のスイスであれ」と言っている。意識改革として、3sと言われるアメリカ文化、安全、平等。政策として、議会制民主主義、財閥解体、独占禁止法、農地改革、労働組合のあたりは教科書でやったと思います。
で、結果として、①思い通りになったもの②ならなかったもの③思わぬ形になったものがあります。
①戦時中、日本人のガッツはやはり脅威であった。3Sはよく根付き、日本人の戦前のようなガッツは無くなった。②今のアメリカとも違った、古き良きアメリカを理想とし、アメリカの国益にもかなう、フィリピンぐらいの感じにしたかった。今の日本のような重工業国にするつもりは無かった。③結果として、強い中央集権でありながら、個人の権利ばかり主張する国になってしまった。
黒羽藩の維新
今の大田原のあたりの話。15代藩主大関増裕は横須賀藩主の息子で、婿養子として黒羽藩の藩主となる。若年寄となり、幕府の軍監(海軍、陸軍の総監)に任命される。部下には勝海舟がいた。3年ほどで病のため、国元に帰る。
領内で産出する、火薬の原料となる硫黄が高騰し、それを資金源に軍備を整える。
戊辰戦争時、幕府側につくか、新政府側につくか藩内でもめる。「那須の氷雪」によると、増裕は軍監をつとめたので、幕府を裏切れない。かといって、日本のためには新政府側につく必要がある。勝海舟の説得もあり、結果猟銃自殺する。
黒羽藩は1万8000石の小藩ながら最新式の軍備を揃え、兵力も1000人ほどあった。
白河藩との戦いでは大砲を撃ち込み、わずか700人の兵力で2500人の守る城を落とす。
しかも半日で。ちなみに会津藩は40万石の大藩で、御三家である水戸藩より石高が多かった。
大沼渉は家老の家柄で、戊辰戦争、西南の役で武功を上げ、初代の仙台鎮台長となる。
周りは幕府側で、完全にアウェイであったろうと思われる。病気で失明し、初代近衛歩兵長となったが、2年後病死した。
文化
長州は文化度の高い藩で、関ケ原で負けたものの、明治維新で返り咲いた。
「虎は死んで皮を残し、人は死んで書を残す」という言葉がある。
「文化を残すか、遺伝子を残すか」
日系人は海外に400万人暮らしています。それぞれ現地になじみ、日本にやってきても完全に外国人です。一方中国人は現地になじみません。海外でも中国式の生活を続けます。かつて多くの国は日本のような国民国家でした。帝国主義の時代、国民国家は互いに戦争をしました。日本が中国からの移民を受け入れると、池袋のようなリトルチャイナに始まり、数が多くなれば、日本全体が中国のように、中国語が通じ、中国式の生活をするようになるでしょう。選挙権も認めざるを得ません。そうしたら実効支配と言えないだろうか?
トランプさんはそれに異を唱えたわけです。